星野仙一氏の死を悼む
年明け早々に、悲しい知らせです。プロ野球の星野仙一氏が、1月4日70歳で亡くなられました。膵臓がんでした。
体調不良の噂が流れなかったため、突然の知らせに驚いた人は多いと思います。 球歴 星野仙一氏の輝かしいキャリアは、とても一言では言い尽くせませんね。
現役時代は中日一筋。146勝121敗34セーブの記録を残し、特にジャイアンツには闘志を燃やして35勝を積み重ねました。
引退後は中日→阪神→楽天の監督となり、チームをリーグ優勝4度、東北楽天イーグルスを球団史上初の日本一に1度導いています。
そして北京オリンピックでは日本代表の監督に。正に歴史に残る名将ですね。
闘将 星野仙一氏は倉敷商業時代は無名でしたが、明治大学で頭角を現し田淵幸一・山本浩二と共に6大学の目玉選手と称されました。
ドラフトでは巨人が星野投手の1位指名を約束していましたが、反故にされて別の高校生投手を指名し、結果中日入りとなりました。
このことが星野投手の反骨心に火をつけたとされています。現役時代、監督時代を通じて闘争心むき出しのスタイルでチームの仲間を鼓舞し続けましたね。
投球スタイル その言動とは裏腹に、星野投手が決して剛球投手ではなかったことをご存知でしょうか?
スト―レトの球速は130キロ前半で、プロの選手としては平均以下のものでした。
投手としては技巧派の部類で、打者に向かって時に怒鳴りつけながら熱投しつつ、クレバーな投球術で勝ち星を積み上げていました。
星野投手のような、気持で投げる選手は今では見なくなりましたね。
類似の投手を何人か紹介しますと・・・・
東尾修
西鉄→太平洋クラブ→クラウンライター→西武と球団オーナーは変わっても、ライオンズ一筋でした。
東尾投手の持ち味は内角を突くシュートと、打者をのけぞらせるブラッシングボール。そして精緻なコントロールのスライダーでした。
内角をえぐる球を多用したため与四球も多く、近鉄の外国人選手にぶつけて殴られる事件もありました。
西本聖
この人もジャイアンツ一筋。そしてこの人も、球速は遅くてもシュートでガンガン攻める投手でした。江川投手と2枚看板で一時代を築きましたね。
西武ライオンズとの球史に残る日本シリーズでは投球の大半がシュートで、4番の田淵始め、多くの打者のバットを折る鬼気迫る投球を見せました。
気性が荒くプライドが高かったため、巨人軍コーチと衝突を繰り返したことでも有名でした。
三浦大輔
「ハマの番長」で知られた三浦投手も、実は技巧派でしたね。そしてこの人も横浜一筋。近代の野球は全体的に球速が上がる傾向にありますが、140キロ前後の三浦投手はやはり平均以下といえます。
それでもスラーダ―やフォークボールを駆使してここぞの場面では三振をとる気合いの持ち主でした。
そしてなんといっても、あのリーゼント頭。ちょいワルのカッコ良さがありましたね。
野球を愛した星野氏
星野氏の突然の訃報の裏には、高校サッカーやラグビーに沸く雰囲気に水を差したくないという仙一氏の意向があったそうです。
それで容態のことは明るみに出なかったのですね。最後までスポーツを愛する星野氏らしい態度だったと思います。 ご冥福を祈ります。